大分前になるが拙コラム(アーカイブス:2013.10.26付け)の中で次のように氏の著書に触れたことがある。
http://ruruc.kir.jp/sk-solutions/web1/archives/columnarchive/3371
http://ruruc.kir.jp/sk-solutions/web1/archives/columnarchive/3372
*「真の国際人には外国語は関係ない」「国語、読書などによる総合力」と言い切った「国家の品格」の著者藤原正彦の言葉が重たい。
*因みに当方の経験を紹介する。
♪エンジニアリング企業入社間もない頃に会社での就業前の英会話教室で「日本の結婚式で女性が身にする“角隠し”と“綿帽子”の違いを知っていますか」と問われ誰一人答えることが出来なかった。
♪海外現場(たしかクゥエート)でのたまのパーティで欧米などのエンジニアから日本の歌舞伎、文楽、狂言などについて問われて窮したことがある。日本語ですら語ることが難しいことを英語でなど出来ないのは明らか。
また、次のような短歌を詠んだことがある当方には氏の冊子(国家の品格)の最後の項「世界を救うのは日本人(*)」で記している論考に共感を覚える。
拙詠草:連鎖する世界のテロの終焉は神にフリーな国が鍵握る
*:次のように記しているので転記する。
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日本は、金銭至上主義を何とも思わない野卑な国々とは、一線を画す必要があります。国家の品格をひたすら守ることです。経済的斜陽が一世紀ほど続こうと、孤高を保つべきと思います。たかが経済なのです。
大正末期から昭和の初めにかけて駐日フランス大使を務めた詩人のポール・クローデルは、大東亜戦争の帰趨のはっきりした昭和十八年に、パリでこう言いました。
「日本は貧しい。しかし高貴だ。世界でただ一つ、どうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本人だ」
日本人一人一人が美しい情緒と形を身につけ、品格ある国家を保つことは、日本人として生まれた真の意味であり、人類への責務と思うのです。ここ四世紀間ほど世界を支配した欧米の教義は、ようやく破綻を見せ始めました。世界は途方に暮れています。時間はかかりますが、この世界を本格的に救えるのは、日本人しかいないと私は思うのです。
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この考えは司馬遼太郎の「名こそ惜しけれ」という視点にも通じるように感じるのは当方の勝手であろうか?