写真を長年続けてきた私が「遊縁の衆」で短歌を嗜むようになり、短歌も写真もそれぞれ創るプロセスに共通点があることに気付いた。
そしてこの二つを融合させたら面白いと考えて「情景を切り撮って詠う」ということを試行しながら【 写真短歌 】として紹介している。
そのメリットは相乗効果と補完効果に尽きると思うが、短歌を独立した作品とする場合はその推敲に工夫が必要とも言える。
写真短歌の中の短歌は写真の呪縛から如何に自由になれるかが課題と言えるが・・・。
それはそれとして、この写真短歌の広がりに淡い期待を持っているのも事実と言える。
作品は写真および短歌ともに自身が手掛けたもの「写真短歌-Ⅰ」と他者の写真に当方が短歌を添えた作品「写真短歌-Ⅱ」とします。ただし、何れも短歌が単独で「やましん歌壇」に掲載された作品とします。
・写真短歌-Ⅰ:写真および短歌ともに自身が手がけたもの
・写真短歌-Ⅱ:他者の写真に当方が短歌を添えて共同制作としたもの
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凛と立つ白樺の背に青き空大樹の木肌の白の眩しき -
雪燃ゆると見紛うばかりゲレンデのライトアップとうごめく松明 -
冬枯れの枝に戯るる山雀に見惚れて憶へりわが幼少期 -
鳥海の賽の河原に入り日射し尾花の風に揺れて煌めく -
落陽と友らとワインと潮騒に自粛の澱の消えゆく晩夏 -
脱サラしはや十五年の友の茄子いまや手練れの栽培モデル -
山里の早苗の田の面に映りおる雪斑なる飯豊の山並み -
七五三の絵馬の写真を成人の祝いに添える社務所の計らい -
首失せて寄り添い並ぶ道祖神古道の辺の朽ち葉の海に