2023年5月19日

LGBT法案のゴタゴタに関するメディア報道を見ていてふと「正当」な差別はあるのだろうか?と思った。

差別に正当も不当もないのでは・・・と街場の常人としては思ってしまい、また差別と区別の差異なども気になるので調べてみたら(以下)不当な差別とした法案修正にもある意味で理由があるように思えた。国会の論議やメディア報道がこのような整理をしたうえでなされたかどうかは不確かだが・・・。

差別は「差をつけて分けること」、区別は「いくつかに分けること」とあり、差別にも区別にも「善悪」の意味は含まれておらず差別と区別の違いは「分けたとき、そこに差があるかどうか」だけらしい。                                                                                                                                  不当な差別を略して「差別」という場合もあるようなので、えてして私たちは差別には善悪の意味が含まれているように思いがちだがそのようにすりこまれているのかもしれない。

因みにウィキペディアでは差別とその種類を下記のように記している(ウィキペディアより抜粋)

「差別」:

特定の集団に所属する個人や、性別など特定の属性を有する個人・集団に対して、その所属や属性を理由に異なる扱いをする行為である。国際連合は、「差別には複数の形態が存在するが、その全ては何らかの除外行為や拒否行為である」としている。正当な理由(合理性)無き区別、不当な差別は違憲や違法である。

「差別の種類」:

差別は大きく「偏頗的・統計的差別」と「制度的差別」の2つに分類できる。 現代の文脈では、差別行為に関する主な問題は、偏頗的かつ統計的な差別を中心に展開している。 日常的な偏頗的差別の些細な事例であっても、重大な結果をもたらす可能性があるとされる。    偏頗的とは不公平という意味。