写真を長年続けてきた私が「遊縁の衆」で短歌を嗜むようになり、短歌も写真もそれぞれ創るプロセスに共通点があることに気付いた。
そしてこの二つを融合させたら面白いと考えて「情景を切り撮って詠う」ということを試行しながら【 写真短歌 】として紹介している。
そのメリットは相乗効果と補完効果に尽きると思うが、短歌を独立した作品とする場合はその推敲に工夫が必要とも言える。
写真短歌の中の短歌は写真の呪縛から如何に自由になれるかが課題と言えるが・・・。
それはそれとして、この写真短歌の広がりに淡い期待を持っているのも事実と言える。
作品は写真および短歌ともに自身が手掛けたもの「写真短歌-Ⅰ」と他者の写真に当方が短歌を添えた作品「写真短歌-Ⅱ」とします。ただし、何れも短歌が単独で「やましん歌壇」に掲載された作品とします。
・写真短歌-Ⅰ:写真および短歌ともに自身が手がけたもの
・写真短歌-Ⅱ:他者の写真に当方が短歌を添えて共同制作としたもの
-
-
寄贈せし己が冊子の納まりし書架の一隅舞台のごとし -
サックスの音に誘われ公園を辿れば若者壁に向きおり -
風情より取り外しの手間難渋に夏簾揺れはや秋の風 -
「おとうさん」幼い文字の絵日記が不意に現るキャビネットの奥 -
山の路日の射す片方にハルジオン蝶と戯れ我を誘う -
風そよぎ甘き香流るる山路にニセアカシアの大樹揺れおり -
ひたすらに我癒されし「白い森」おぐにの秋の懐深し -
黄昏るる湖面に溶け込む秋の山墨絵にも似てこころ凪ぐ時 -
なごり雪「これがそうか」と呟けり妻も頷く春の往還